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元南海放送アナウンサー・アドバイザー 宇都宮基師さん
 私は昔から大の野球ファンです。アナウンサーになるきっかけも野球でした。おかげさまで野球の取材や高校野球の実況を長年関わることが出来ました。

 もし故郷にプロ野球が誕生したら夢のようです。毎試合、球場に脚を運びたいと思います。

また故郷の活性化や魅力のアップに必ずなるでしょう。今後とも夢に向かって頑張ってください。

 


立教大学野球部OB・書籍編集者・会員  元永知宏さん
 30年近く前、松山市営球場で見たシーンをいまでもはっきりと思い出すことができます。

ストレッチ中の王貞治選手にサインをお願いして、トレーニングコーチにさえぎられたこと。 バッティング練習で岡田彰布選手がほとんどの打球をスタンドに叩き込んだこと。 シートノックのとき、巨人内野陣のボール回しのスピードが速かったこと。そして、広島カープの若手だった長内孝選手が放った弾丸ホームラン......。

あのとき、実際に自分の目で見なければ、そんなシーンは記憶に残らなかったでしょう。「松山でプロ野球を見る」という 原体験がなければ、私は長く野球を続けなかったかもしれない。 いまでも雑誌・書籍の編集者として野球に関わることができるのは、松山にプロ野球があったからです。

 もし幼いころ、プロ野球を見ることがなかったなら、私は別の人生を歩んでいたはずです。 もし、松山にプロ野球チームがあったなら......いまよりももっと野球の面白さ、すばらしさを知ることができただろうと思っています。

元永知宏
職歴/1968年、愛媛県大洲市生まれ。大洲高校、立教大学卒業。立大野球部では23年ぶりのリーグ優勝を経験。 大学卒業後、ぴあ株式会社に入社。雑誌・書籍編集者として活躍中。『ナンバー2の男』(高津臣吾著)、 『パ・リーグを生きた男 悲運の闘将 西本幸雄』など多くのスポーツ関連出版物の取材・構成を担当。

 


漫画家  水島 新司さん
プロ野球の今シーズン('04)に起きた合併と新規参入問題の中で、私は四国にまず先に手を挙げてほしかった。四国の野球人気と人材は他地域を圧倒している、プロ野球球団が根付き発展する可能性は大であると思うからだ。

私は「ドカベンプロ野球編」で四国初のプロ野球球団”四国アイアンドッグス”を誕生させた。

今これから、四国の人たちが四国全体でプロ野球を応援する空気を熟成していけば、地元球団誕生は夢ではないと思う。野球好きが集まって結成されたこの会の活動が、夢の第一歩なり、野球の発展につながることを願っている(談)

 


スポーツジャーナリスト  二宮 清純さん

そもそも野球王国と呼ばれる四国・松山に球団がないこと自体がおかしい。
イチロー人気に沸くマリナーズの地元シアトル市は人口約55万人だ。

よくアメリカの映画で老人が孫にメジャーリーグの名シーンを語る場面がある。球団はある意味、文化都市の象徴でもある。

子や孫、そして未来の子孫のため球団を松山に誘致しよう。それが大人たちの義務だと思う。

 


元高校野球監督  一色 俊作さん

野球の底知れぬ魅力を感じてから半世紀以上。選手また指導者として数々の試合を経験してきた。その一つを思い出す。一球入魂の真剣勝負だった。さらに忘れられないのは試合に臨むまでの練習だ。自分自身の不安を消し、自身を持つには人一倍の練習しかない。それは試合の華やかさとは対極にあるつらく地味なものだ。しかし絶対に必要なのである。練習の多少は必ず試合のプレイに反映する。

この会の活動は、試合に臨むための練習のようなものかもしれない。つらい時もあるだろう。目標を見失いそうになるかもしれない。

しかし地道に頑張ってほしい。華やかな試合、夢の実現を信じて。

一色俊作
1937年(昭和12年)松山市生まれ。
松山商業高、明治大卒。監督として甲子園出場春夏合わせて5回。うち優勝1回(昭和44年夏・松山商)、準優勝(平成2年春・新田)
現在は引退し、松山市在住